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忘れない「阪神・淡路大震災」~大切な命を守るため~

忘れない「阪神・淡路大震災」~大切な命を守るため~

2025年1月17日で阪神・淡路大震災から30年。
今回のSONAERUでは、当時の被害を振り返るとともに、パソナグループの神戸復興の取り組みの一部をご紹介します。あの日のことを忘れず、改めて防災について考えてみませんか?

阪神・淡路大震災を振り返る

【戦後初の大都市直下型地震】
1995年1月17日(火)午前5時46分、まだ多くの人が眠っている未明の時間帯に、淡路島北部を震源地とするマグニチュード7.3の大地震が発生。近畿圏を中心に広い範囲で揺れ、神戸市などでは国内史上初めてとなる「震度7」の激しい揺れを記録しました。都市直下型地震であったことから、建物の崩壊や大規模な火災が起こり、甚大な被害をもたらしました。

【奪われる命、崩壊する家、遮断されるライフライン】
阪神・淡路大震災による被害は、死者6,434名、負傷者は43,792名、住家全壊104,906棟、住家半壊144,274棟、住宅全半焼7,132棟にのぼりました。

当時は、1981年よりも前の旧耐震基準で建てられた木造住宅が多く残っており、それらの建物が特に被害を受けたと言われています。多くの家庭が一夜にして生活の場を失いました。

地震の衝撃は火災被害も引き起こしました。地震後、電気機器やガスなどの原因により285件の火災が発生し、特に古い木造家屋が密集している地域では大規模火災へと延焼拡大しました。道路をふさいだ倒壊家屋や瓦などの落下も、延焼拡大を助長したものと考えられています。
また、停電、断水、ガス供給停止、交通インフラの被害などライフラインの寸断により、被災地の日常生活は完全に麻痺しました。

※参照
国土交通省 気象庁 「阪神・淡路大震災」特設サイト 
総務省 消防庁 阪神・淡路大震災について(確定報) 
内閣府 防災情報のページ 阪神・淡路大震災教訓情報資料集 など

パソナグループ 神戸復興の取り組みの一部をご紹介

【1995年1月「神戸復興支援プロジェクト」開始】
震災当日、海外にいたパソナグループの代表 南部靖之は、震災発生の報を聞き直ちに帰国。即日、大阪ヘッドクォーター内に「パソナグループ災害救済本部」を設置し、被災者支援に動き出しました。 


▲災害救済本部に集まる救援物資


▲社員ボランティアによるバイク隊が神戸市内を奔走し、救援物資を届けた

▲日米ボランティアチームを結成。関西空港に届いた100トンの救援物資を運搬

震災により、一瞬にして多くの方の雇用の場を失いました。パソナグループは震災発生から1週間たたずして、被災者に向けて仕事に関する様々な情報を提供する「パソナワークレスキュー相談窓口」を設置し、被災者の就労支援を全力でサポート。また、震災によって家屋を失った方々、職場が倒壊した方々、職を失った方々を救済するために、全国各地の社員がクライアント企業を回り、住居と雇用をセットで被災者の受け入れをお願いしました。

【5年間で5万人の雇用を創る!】
1996年4月「神戸ハーバーサーカス」 オープン
神戸では、住宅や職を失ったことによる人口流出が10万人ともそれ以上とも言われ、いち早く被災地の復興と雇用創出が求められていました。そこで、「5年間で5万人の雇用を創出しよう!」をスローガンに、日本初のエンターテイメントデパートメントストア「神戸ハーバーサーカス」を開業。大人から子供まで1日中楽しめる施設を目指し、全社一丸となって開業準備にあたり、オープン時には約1600人の雇用を創出しました。
神戸ハーバーサーカスは復興の象徴として、オープン当日には神戸市民12万人が来場。未来への希望と喜びにたくさんの笑顔が溢れ、心の復興にも寄与しました。

<神戸ハーバーサーカス オープン記念式典>


▲復興の象徴として、神戸で初めての複合施設としてオープン


▲待ちに待ったオープンに多くの神戸市民が、開店前から詰めかけた

▲テープカットの様子

1997年7月 ミュージックグルメ船「コンチェルト」就航
1993年に神戸から観光船として就航した「シルフィード」は、1995年の阪神・淡路大震災発生後、被災し陸路が断たれた神戸と大阪を結び、海路で被災者や救援物資の輸送をする役割を担っていました。震災後の約1か月間、神戸モザイクと大阪港の天保山を1日3往復し、トータルで20万人の方々を運んだと言われています。その後、観光船としての復活を目指したものの、神戸に観光客が戻らず廃業することとなりました。
それを聞いた南部代表は、「勇猛果敢に神戸のために頑張った船をなんとかしたい」と考え、購入を決意。ミュージックグルメ船「コンチェルト」として生まれ変わり、神戸港から明石海峡大橋までをクルージングする「ミュージックグルメ船」として就航。船内では本格的な料理を楽しみながらジャズやクラシックなどの生演奏を聴くことができ、そこには多くの音楽家が集い、新たな雇用が生まれました。神戸復興のシンボルとなった「コンチェルト」は現在も、観光都市神戸のランドマークとして愛され、観光船として活躍しています。

<ミュージックグルメ船「コンチェルト」オープニングセレモニー>

オープニングセレモニーでは海上自衛隊 呉音楽隊が演奏

阪神・淡路大震災の教訓をどう活かすか

阪神・淡路大震災の甚大な被害は、災害対策基本法をはじめとする法令の改正や制定、警備や防災基本計画の大きな見直し、各種情報システム整備など、防災対策や政策に大きな影響を与えました。 この震災での経験が、耐震基準の見直しや防災意識の向上など後の災害対応に活かされ、建築物の耐震改修の促進に関する「耐震改修促進法」、家屋が多大な被害を受けた時に生活を再建できるように支援する「被災者生活再建支援法」、ボランティア活動などを促進する「特定非営利活動促進法」などの充実・強化が図られ、災害に強い社会づくりが進む契機となりました。

個人でも、家具の固定、防災グッズの準備、家族での防災会議、住んでいる地域の「ハザードマップ」の確認など、すぐに備えられることがあります。 震災からもうすぐ30年。ご自身の命をはじめ大切な人を守るため、改めて防災について考えてみませんか?